司会

パーティなどに司会はつきもの。そして、中国人と日本人が同席するとしたら、司会も中国語と日本語の両方で行われます。

こうしたパーティでの司会をお手伝いしました。とてもいい経験をさせていただきました。

日中青年交流パーティ

これは、友人が「青年団交流活動でボランティア通訳を募集しているみたいよ」と紹介してくれたもの。私は年齢的にも青年ではないし、全日程参加できなかったのでいったんは参加を見合わせることになったのですが、その後日本側の青年団から「パーティで中国語の司会者が必要なんですが、適当な人がいないので手伝っていただけませんか」と電話をもらい、1日だけお手伝いすることになりました。

事前に1回打ち合わせをしました。この活動は、4日ほどの日程で中国の青年団が観光や見学をするのに、日本のボランティア青年が同行して交流するというものだそうです。見学などの通訳は団づきの通訳がするのですが、パーティは青年団の企画・運営で、司会の通訳はボランティアから出すことになっていました。私がするのは全体の司会進行で、来賓のあいさつや余興の際には通訳者が別に出るので、私はやらなくていいということです。

全体の司会進行の日本語司会者は青年団の上部組織である役所の人で、司会原稿を事前に作って渡してくれました。たぶん、役所の人ならばアドリブを入れたりはしないだろうと見当をつけ、『中国語通訳への道』(塚本慶一(2003)大修館書店)を参考にして、原稿を中国語に訳しました。あと準備をしたのは、中国側青年団のメンバーの名前の読み方を調べることです。いくらアドリブはないだろうと思っていても、何かあったときに団長の名前がわからないというのでは話になりません。案の定、難しい読みの名前の人が何人かいました。最終的には名前を呼ぶことはなかったのですが、準備しておいてよかったと思います。

当日、早めに会場に入ると、日本側来賓の通訳をする方がいらっしゃっていて、来賓の座る席やマイクの位置などを確認しています。偶然、中国語教室の先生の知り合いの方だったので、ごあいさつしたら、なんと「原稿を訳しました? 見ましょうか」と言ってくださったのです。

ぜひにとお願いすると「○○さんにごあいさつをお願いします」という場合、主催者側には「由○○致辞」、招待者側には「请○○致辞」と使い分けたほうがいいですよ、と教えていただきました。「あとは大丈夫、よく訳せています。緊張しないでね」と言っていただき、心強く思いました。

でもせっかくそう言っていただいたのに、結局ものすごく緊張しました。日本語司会者の方も親切で、話すペースに気を配ってくださったり、「のどが渇きませんか」と飲み物をもってきてくださったりしているのに、私はそこまで頭が働きません。あとから考えて、ただ中国語が話せる、というだけでは務まらないと思いました。

もうひとつ、司会をして思ったこと。日本語では始まりは「これから○○交流会を始めさせていただきます」となるべく控えめに言いますが、中国語は「○○交流会、现在开~始~!」となるべく盛り上げるように言う方が普通です。私は日本語司会者に合わせてあまり大げさにならないように言ったのですが、こういう違いもいざ話す当人になってみると気になるものです。何事も実際に体験することが一番の勉強だとしみじみ思いました。

太極拳交流会

留学先の西安に、日本のある太極拳協会がくることになりました。西安の有名な先生のいらっしゃる協会との交流会と観光を兼ねての訪問だそうです。私は日本側の協会の会長さんやツアーを組んだ旅行社の人と顔見知りだったので、お誘いを受け、交流会の司会をお手伝いすることになりました。

司会進行は、中国側の旅行社の通訳者が中国語を、私が日本語をやります。司会原稿は中国側の司会者が作ってくれ、「日本語の言い回しがおかしかったら直してください」ということで少し手直ししました。

司会の中で一番気を使ったのが、双方の協会の会長あいさつです。日本側のあいさつは中国側の司会者が中国語に、中国側の会長あいさつは私が日本語にするのですが、原稿を事前にもらって、そのまま読むということだったので、あまり長くなりすぎないように気をつけて訳しました。

当日はやはりとても緊張しました。中国側の司会者が「会長は陝西なまりがあるかも」と言っていたのですが、実際にはきれいな普通話で、あいさつも原稿どおりに読んでくれたので、私も自分の訳を読むだけですみましたが、いつアドリブが出るかとドキドキしました。

あとは、来賓の紹介(名前の日本語読みは事前に調べておきました)と、交流大会の演武種目の紹介(これはお手のものです)だけのはずだったのですが、記念品贈呈のとき、何をさしあげるかをそれぞれが紹介しはじめてしまったのです。日本側からの記念品紹介は中国側の司会者が中国語にしてくれるのですが、中国側からの記念品紹介は私が日本語にしなければなりません。

記念品は兵馬俑にある馬車の俑(銅馬車)のレプリカだったのですが、私はその知識がなく「馬車の模型で…」などと言ってしまいました。でもその後、中国側の方が「これは日本からのお客様1人に1つずつさしあげます」と言い、それを訳したらみなさん大喜びになって、私の失敗があまり目立たずにすみました。

交流大会はとても盛り上がりました。中国側の演武者の中にかなり年配の女性がいたのですが、演武中に中国側の人がメモをもってきて「現在演武中の方は今年73歳になるので、ぜひ紹介してくれ」と書いてあったので、紹介したら、日本側は嵐のような拍手でみなさん写真を撮っています。いい雰囲気でした。

それからパーティになってごちそうを食べたんですが、緊張がとけたのと疲れで味がよくわかりません。パーティの間、余興が始まってそれぞれ即興で出し物をしたのですが、事前に決まっていたことではないし、それを通訳するのは大変だろうといって、訳は全部中国側の人がやってくれました。京劇の題名や場面の説明だの、陝西省の民間芸の紹介だの、全然できませんから、助かった…と同時に、ちょっと自分が情けないなあと思いました。

私は武術に関することなら知識があるので、アドリブが入っても急な余興の出し物でも訳すのはまず問題ないと思いますが、武術に詳しくない人はお手上げだろうと思います。そもそも私が司会のお手伝いをすることになったのも、中国側の司会者が武術に不案内だからということでした。逆に、記念品になった馬車の俑は西安の人なら誰でも知っているもので(事実、翌日兵馬俑に行ったらありました。下がその写真です。レプリカもたくさん売っていました。)それを訳せないというのは勉強不足以外の何ものでもありません。今思い出しても恥ずかしいです。余興の紹介にしてもそうですが、勉強しなければならないことは本当にたくさんあります。

パーティが終わり、何人かの方に「中国語すごくできるんですね」とほめられましたが、もちろんお世辞だろうし、そもそも私が話したのは全部日本語なんですよね。でも無事にすんだので、素直にうれしかったです。

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