孝行のしたい時

おじさんが亡くなった。

去年くらいから病気だったのだが、先月少し悪くなって入院し、もう少しもつと思ったんだけど案外早かった…とのことだ。

ついこのあいだ田舎に帰ったばかりで、そのときちょっと連絡すれば入院していたことがわかってお見舞いに行けたのに…と妹と電話で話し、ちょっと残念な思いがした。後悔もした。電話を切ってから、ちょっと泣いた。

日本では、親とか親戚が元気なうちは(元気だと思っているうちは)わざわざ会いに行ったりしないのが普通じゃないかなあ。おじさんおばさんなんて、話してて気ぶっせいな人の代表みたいなもんだ。でも亡くなってみると、さびしいものである。

父が亡くなってから、葬式だ四十九日だ一周忌だ初盆だ三回忌だと田舎に帰るたびに、「死んでからこんなに田舎に帰ってくるくらいなら、生きてる間にもっとしょっちゅう帰ってきて顔を見てやればよかった」とどんなに自分を責めたことか。そのたびに1人暮らしになって寂しそうな父よりも、「いや、大丈夫だよ、なんとかやってる」とカラ元気で言っている父ばかり思い出す。

「孝行のしたい時には親はなし」これを最初に言った人と自分の気持ちを重ね合わせてみる。人間の気持ちっていつの時代でも変わらないものなのか。

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