动弹

动弹不得

身動きがとれない

だそうです。
“弹”がちょっとおもしろい。辞書を見ると、動詞では

はじく
綿を打つ
楽器を弾く

なんていう意味で、“動く”だけの意味はなさそう。何かにはさまれて動けなくなったとき、腕をむりやり動かそうとしてスポッと抜けたら確かに弾かれたような動きになるけど、そういうことなのかなあ。
発音はdòngtánと2声になってる辞書とdòngtanと軽声になってる辞書がありました。

携帯で

NHKの中国語ニュースが携帯で配信されるようになったそうだ。

NHK WORLD手机华语新闻服务

podcastで音声をダウンロードし、それを聞きながら携帯で原稿を見られるってことですね。

す、すごい…。携帯で音声も聞けるようになるのも遠くないかもしれない。

任天堂DS

市内の某量販店にて、任天堂DSとWiiが出た。うーん、出るときゃ出るのね。

去年の夏に妹の子ども(小4と小2)がDSやってるのを見て、ちょっとほしいな~なんて思っちゃって、その後本体はどこにも売ってないのに次から次へと新しいソフトのコマーシャルやってるのを見て、だんだん「本体さえあれば!」という気持ちになってしまった。これが任天堂の作戦なのかもしれないけど。

そんなわけで、今日、私の勅命を受けてだんなが量販店に出向き、無事にDSを購入。

ここ数日は諸事情により、ゲームで遊んでるヒマがないんだけど、それが終了したあかつきには! って、ソフトを買いに行かなきゃなりませんね。やっぱ任天堂の作戦にはまってしまったのかも。

あっ!

免許の更新に行かなきゃ。期限切れになってしまう。

たぶん、もう一生、車の運転なんかしないと思うけど、でも免許をなくすのはくやしい。この心理ってなんなんだろうねえ。

ペーパードライバーのみなさん、更新してます?

イマドキの中国語

このあいだの中国語教室で、先生(中国人)が「最近の中国語は中国語らしくない。人民日報を読んでもヘンな文章ばかりになっている」と言っていた。中国に留学していたときも、何人かの先生が同じようなことを言っていた。そういう先生はみんな非常勤で教えている若い大学院生の先生ではなく、専任で長く中国語を教えている、ある程度の年齢に達した先生だった。

その中のかなり年配の男の先生は、「中国に来て実際の中国人が話すことばを学ぶのはいいことだけど、正しくない、よくない中国語は覚えちゃいけない」とよく言っていた。「絶対に“立马”なんていうことばを使うな。“立刻”“马上”というきちんとした中国語があるのに、なんでこんなことばをわざわざ使う必要がある」と怒っていたっけ。私はずっと日本で勉強していて、教科書に固定された「正しい」中国語しか知らず、先生も大学や研究機関で働いているある程度の年齢に達した先生ばかりだったので、はやりことばには無縁で、“立马”は見たことも聞いたこともなかった。そのあと1ヵ月ほどして、テレビドラマの中でこのことばが出てきたときにはほほーと感心したことを覚えている。(ところで、ChineseWriter8では、lìmǎで漢字に変換できた。これってもうある程度認知されている語なのかな)

もう1つ、最近気になるのは「人気」だ。私は「人気がある」は中国語では“受欢迎”といい、“有人気”は間違いだと習った。その後“很红”なんていう表現も知って面白いなあと思ったけど、作文なんかでは一貫して“受欢迎”を使っていた。ところが最近、書いた中国語を中国人に見てもらうと、「“受欢迎”でもいいけど、最近は“有人気”と言う」と直されてしまうことがある。これには納得できない。

日本語だって、友だちとの会話やメールやブログでは「すごく受けてる」を使っても、ちゃんとした場面では「非常に人気がある」というのが社会人というものだと思う。「非常に人気がある」と書いているのを「すごく受けてる」に直されてるような気がしちゃうんだけど、考えすぎなのだろうか。

英語学習では「ネイティブの話すこなれた英語を覚えよう」という立場と「くずれた英語を使うと教養のない人だと思われるから、なるべく正しい英語を覚えよう」という立場がある。

中国語も教材や雑誌がたくさん出てきて、学習環境が整ってきたと思うけど、ここまでの議論にはまだなっていない。私は「まだ中国語はそれほど上手じゃない」と思われるのはしょうがないけど、「上手だけど品のない中国語を話す」と思われたくはない。たぶん、私がもうある程度の年齢だからなんだろう。

問題はどんな表現が正しく、どんな表現がくずれているのか、私には判断できないということだ。人民日報でさえ文章がヘンだと先生は言っているし、まわりにいる留学生たちは私が中国語を習い始めた頃はまだ幼稚園か小学校低学年だったはずで、私のほうが大人な中国語を使っているかもしれない。

中国人と交流したり、ネットを活用したりして生きた中国語を学ぶのは必要なことだと思うし、実際にそうするよう努力もしているんだけど、こういう表現は覚えない方がいいよ、ということをきちんと教えてくれる先生に見てもらうということは、私にとってはとても重要だ。